キッズ・オールライト

母2人と娘と息子という同性夫婦の家族に訪れる破綻と再生の物語。子供2人が生物学上の父親=精子提供者と知り合うことで映画は始まる。
イカップルの実態はよくわからないのだが、この映画での夫婦関係はほとんど異性のカップルと同じである。ニック(アネット・ベニング)が父親的でジュールズ(ジュリアン・ムーア)が母親の役割をしている。実際そうなのかもしれないし、それが今日的で無難な描き方であったのかもしれない。だがそうすると、「同性カップルあるある」のような小ネタこそありそれは確かに笑えるのだが、家族の形としてその設定の意味がほとんどないように感じた。それがつまりは「同性夫婦も異性夫婦と同じなんです。」という主張であるのならそれはそれでいいのだが…。というかそういう主張なのだろう。というのは監督のリサ・チョロデンコもどうやらレズらしいからだ。また、この家族の破綻のきっかけも浮気という非常に普遍的なものである。
では子供たちはどうか。以下ラストに触れてます。
タイトルの「キッズ・オールライト」(原題The Kids Are All Right)は「子供たちは大丈夫」という意味らしいのだが、本当に大丈夫なのか。あのラストを迎えて、特に15歳の息子はあまり大丈夫ではないように思った。母親が浮気をし、彼女のある行動により再生への道を歩みだしたものの、頼りにしていた姉も大学寮に入ってしまい、その前には友達との喧嘩、精子提供者である男との関係も破綻している。はっきり言って彼はかなり危機的な状況だ。ラストを迎えるころ、彼が心のよりどころにできる人物は一人もいない。最後の彼のあの笑った横顔は大丈夫だからじゃない。不安で仕方がないから笑うしかないんだ。それでもなお「子供たちは大丈夫」なのだろうか。まっ、これだとタイトルと演出で矛盾しちゃうんだけど…。Maybe The Kids Are All Right
また前述した家族再生のきっかけになる母親のある行動も、あれで再生するもんかね。この辺の感覚はちょっと日本人には理解しにくいものがある。
ちょいちょいはぐらかされた印象は残るものの、ジュリアン・ムーアの乳首チラみせやSEXシーンなど誰得なシーンもあるコミカルな映画であった。